大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所多治見支部 昭和52年(ワ)156号 判決

原告

伊藤節子

被告

伊藤和能

主文

被告は原告に対し、金四八四万二六一三円および内金四四〇万二六一三円に対する昭和五〇年一二月一〇日から、内金四四万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担、その余を原告の負担とする。

この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

「被告は原告に対し、一七九七万七一〇七円およびこれに対する昭和五〇年一二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二当事者の主張

(請求の原因)

(一)  交通事故の発生

訴外亡伊藤広行(以下亡広行という)は、昭和五〇年一一月二八日午後四時一〇分頃、瑞浪市稲津町小里三七六番地の四先道路を、原動機付自転車(以下被害車という)を運転して北に向かつて進行していたところ、反対方向から土砂を満載した被告運転の大型貨物自動車(ダンプカー、以下加害車という)が進行してきて亡広行に衝突し、よつて、同人に対し頭蓋骨陥没骨折等の傷害を負わせ、同年一二月一〇日同人を右傷害により死亡させた。

(二)  被告の責任

被告は、加害車の保有者であるから、自動車損害賠償保障法三条により後記損害を賠償すべき義務がある。

(三)  損害

(1) 治療費

亡広行は、前記受傷日より死亡日まで瑞浪市土岐町八六番地の昭和病院において前記傷害に対する治療を受けたがその治療費は一〇七万三九八〇円であつた。

(2) 亡広行の逸失利益

亡広行は、死亡当時満一八歳の男子高校生であつたが、本件事故により死亡しなければ、満六七歳まで四九年間就労し得た筈である。

ところで、「昭和五〇年度賃金センサス」によれば、大学卒男子の初任給は、年間一四四万六五〇〇円であるから生活費としてその五割を控除した上、ホフマン方式により亡広行死亡時におけるその逸失利益の現価を計算すると、次の算式のとおり一七六五万四五三二円になる。

1,446,500円(年間収入)×0.5(生活費控除)×24.41(新ホフマン係数)=17,654,532円(円未満切捨)

原告は、亡広行の母で、その唯一の相続人であり(亡広行の父は既に死亡)、亡広行の右損害賠償請求権を相続により承継した。

(3) 葬祭費用

原告は、亡広行の葬儀を行ない、その費用として四〇万円を要した。

(4) 原告の慰謝料

原告は、最愛の一人息子である亡広行の死亡により筆舌に尽し難い悲しみを味わい、その精神的損害は甚大である。

よつて、その慰謝料は一〇〇〇万円が相当である。

(5) 過失相殺

前記各損害の合計額は、二九一二万八五一二円であるが、本件事故が発生したについては亡広行にも過失があつたから、過失相殺により右損害額の四割を控除すると一七四七万七一〇七円になる。

(6) 弁護士費用

原告は、被告に対し本件事故に基づく損害賠償請求をしたが、被告がこれに応じないため、やむなく弁護士尾関闘士雄に本訴の提起、遂行を委任し、その着手金および報酬として認容額の一割を支払う旨約した。

しかして、右弁護料のうち五〇万円は被告において支払うべきものである。

(四)  結論

よつて、原告は被告に対し、損害賠償金一七九七万七一〇七円およびこれに対する亡広行死亡の日である昭和五〇年一二月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する答弁)

(一)  請求原因(一)の事実のうち、加害車の積荷の量の点は否認するが、その余の事実は認める。加害車の積荷の量は、定められた最大積載量である八トンに満たず、過積載の状態ではなかつた。

(二)  同(二)の事実のうち、被告が加害車の保有者であることは認める。

(三)  同(三)の各事実のうち、亡広行が昭和病院で本件事故に基づく傷害の治療を受けたこと、亡広行が死亡当時満一八歳の男子高校生であつたことおよび原告が亡広行の母であることは認めるが、その余の事実は不知。

(抗弁)

本件事故は、以下述べるように、亡広行の一方的過失によつて発生したものであつて、被告には何ら過失がなく、かつ加害車に構造上の欠陥や機能の障害はなかつたから、被告に損害賠償責任はない。

すなわち、

亡広行は、本件事故当時、指定最高速度である時速四〇キロメートルをはるかに超える時速六〇キロメートル以上の高速度で被害車を運転し、友人の運転する自動二輪車に追越して本件事故現場の左カーブを回ろうとしたのであるか、発進時に、被害車の車体左側のスタンドを全く上げなかつたか、あるいは不充分にしか上げなかつたため、左カーブを回るため身体および車体を左へ傾けた際、スタンドが路面に接触して安定を失い、その進路上で車体もろとも進行方向に向かつて右側に転倒した。そして、身体、車体とも積倒しの状態で黄色のセンターラインを斜めに横切り、折柄時速約三〇キロメートルの速度で対向してきた被告運転の加害車の進路上に横滑りし、加害車の左前輪付近に飛びこんできたものであつて、被告としては、本件事故の発生を予見することも回避することも全く不可能な状態であつた。

(抗弁に対する答弁)

抗弁事実のうち、被害車のスタンドが完全に上がつていなかつたため、亡広行が本件事故現場の左カーブを回ろうとして車体を左へ傾けた際、スタンドが路面に接触してその進路上で転倒し、転倒した状態でセンターラインを横切つて加害車の進路上に入つたことは認めるが、その余の事実は争う。

(抗弁に対する原告の反論)

本件事故が発生したについては、被告にも、衝突回避措置をとるのが遅れた点および遅れてとつた衝突回避措置が適切でなかつた点に過失がある。

(1)  本件事故現場付近の道路は、被害車の進行方向からみて左にカーブしている幅員の狭い道路であるところ、被告が被害車を最初に発見したとき、被害車は左カーブに差しかかつた辺りのセンターライン付近を時速五〇キロメートル近くの高速度で走行してきたのであるから、被告としては、道幅の狭さを考え、右発見時点において直ちに被害車との接触、衝突の危険を感じて減速措置をとり、道路左端に寄る等の衝突回避措置をとるべきであつた。

更に、被告が被害車を最初に発見したときには、亡広行は既に左カーブを回るため被害車の車体を左側に傾けていたものと思われ、そうだとすれば、被害車のスタンドと路面との接触により火花が既に出ていた筈であるから、より一層被告としては、かかる異常な状態で走行してくる被害車の進路に注意し、直ちに徐行態勢に入るべきであつたといわざるを得ない。

しかして、被告が被害車を最初に発見したとき、加害車と被害車との間には約五〇メートル以上の距離があつたのであるから、右発見時点において被告が直ちに前記の衝突回避措置をとつておれば、本件事故の発生は防ぎ得た筈であるのに、被告は漫然と進行し、衝突回避措置をとるのが遅れたため本件事故が発生したものである。

(2)  被告は、本人尋問において「本件事故を回避するためハンドルを左に切り、逃げるようにして停止した。」と述べているが、実況見分調書添付の写真2から明らかなように、実際には加害車は殆ど左に寄つていないのであつて、むしろ、被告は、自ら供述しているように当該「亡広行は被害車とともに左の川に飛び込んだ。」ものと思いこみ、「自分のトラツクは、被害車と衝突していないし、被害車を引摺つてもいない。」と盲信していたが故に、ハンドルをあまり左に切らず、また、ブレーキの踏み込みも多少甘くなつていたのではないかと考えられる。

しかし、被告としては、亡広行や被害車が自車に巻き込まれていた場合のことを考え、できるだけ亡広行を引摺つたり、引掛たりしないようにすべき注意義務があつたというべきであり、これを怠つたがために、亡広行を死に至らしめたものである。

(3)  ところで、亡広行の死因は、内臓破裂であるが、右傷害は、亡広行が加害車との衝突後、加害車と路面との間にはさまれて約五・二メートルも引摺られたことによるものである。もし、被告が最善の措置をとつておれば、たとえ亡広行と加害車との衝突は避けられなかつたとしても、少くとも亡広行を約五・二メートルも引摺らずに済み、したがつて、同人を死亡に至らしめることもなかつた筈である。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因(一)の事実は、本件事故当時の加害車の積荷の量の点を除いて当事者間に争いがないところ、被告本人尋問の結果によれば、被告は当時加害車にその最大積載量(八トン)にほぼ等しい約八トンの土砂を積んでいたことが認められる。

二  請求原因(二)の事実のうち、被告が加害車の保有者であることは、当事者間に争いがない。

三  免責の抗弁について

(一)  被告主張の本件事故の態様のうち、事故当時被害車のスタンドが完全に上がつていなかつたため、亡広行が本件現場の左カーブを回ろうとして車体を左へ傾けた際、スタンドが路面に接触してその進路上で転倒し、転倒した状態でセンターラインを横切つて加害車の進路上に入つたことは、原告の認めるところであり、右事実にいずれも成立に争いのない甲第一号証、乙第一ないし第三号証、証人澤井兵衛、同和田利郎、同大島実、同糸魚川昭平(後記措信しない部分を除く。)の各証言、原告本人尋問の結果、被告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)および検証の結果を総合すると、次のような事実が認められる。

(1)  本件現場は、別紙図面のとおり瑞浪市土岐町方面から陶町方面に通ずる幅員七・五メートルのアスフアルト舗装の道路上であり、被告の進行方向、即ち北方から南方を見ると、僅かに上り勾配で、右にゆるくカーブしているが、道路西側は下方に傾斜する崖となつているため、前方の見通しは良い。本件事故当時、指定最高速度は毎時四〇キロメートルで、路面には道路右側部分へのはみ出し逸行を禁ずる標識である黄色のセンターラインが引かれており、天候は晴で路面は乾燥していた。

(2)  ところで、亡広行は、本件現場のカーブの先にある左カーブを回つた辺りにある友人の岩島康夫方前路上から、先に発進した右友人運転の単車の後を追うべく、被害車に乗つて発進し、道路左側部分を土岐町方面に向かつて北進したのであるが、発進時に被害車左下部のスタンドを全く上げなかつたか、あるいは上げ方が不充分であつたため、本件現場のカーブ(亡広行の進行方向からみると左カーブになる)を回ろうとして被害車の車体を左へ傾けた際、スタンドが路面に接触して安定を失い、道路左側部分のセンターライン付近(被害車とセンターラインとの間隔は約〇・二メートル)で車体もろとも右側に転倒し、転倒した状態でセンターラインを斜めに横切つて道路右側部分に入り、折柄対向してきた被告運転の加害車前部に衝突した。衝突時、亡広行の体は被害車の車体から離れており、亡広行は加害車左前輪付近に、被害車は加害車右前部付近に衝突し衝突後加害車が停止するまで、亡広行は路面と加害車左前輪前部との間にはさまれた形で約五・二メートル押戻され被害車は約七メートル押戻された。なお、亡広行は、当時ヘルメツトをかぶつていなかつた。

(3)  一方、被告は、約八トンの土砂を積んだ加害車を運転して道路左側部分の中央付近を陶町方面に向かつて南進し、本件現場に差しかかつたところ、前方の道路右側部分のセンターライン付近(被害車とセンターラインとの間隔は約〇・二メートルを対向してくる亡広行運転の被害車を発見した。発見当初、被害車は正常に走行しており、本件現場のカーブを回るため車体が向かつて右側に傾いていたが、すぐに車体の下部両側から火花が約一メートルの高さまで出て車体が逆に左側へ倒れかかつたため衝突の危険を感じ被害車との衝突地点より約四メートルないし四・五メートル手前の地点で急ブレーキをかけた。加害車が停止した際、被告は、亡広行は被害車とともに道路左側の用水路に飛び込んだものと思つていたが、事故の目撃者から加害車を後退させるよう言われたため、下車して見たところ、亡広行は、加害車左前輪前部と路面との間にはさまれた形で倒れていた。

(4)  加害車と被害車との衝突地点は、別紙図面の×点、加害車と亡広行との衝突地点は〈×〉点であり、加害車停止時における被害車の位置は〈C〉点、亡広行の位置は〈D〉点であつた。そして、路面には、別紙図面のとおり、転倒した被害車が路面に接触してできた擦過痕が二条と、加害車左前輪のスリツプ痕(長さ約五・二メートル)が一条ついていた。

(5)  加害車の大きさは、長さが六・四メートル、幅が二・四六メートル、高さが二・八五メートルであり、被害車の大きさは、長さが一・六メートル、幅が〇・六五メートル、高さが一・一五メートルである。加害車は、被告が本件事故の約一年前に新しく購入し、約二ケ月前に車体検査を受けたばかりのもので、構造上の欠陥や機能の障害はなかつた。

(6)  亡広行は、本件事故により頭蓋骨陥没骨折の傷害のほか、両肺損傷、両側肋骨骨折、左横隔膜断裂、胃穿孔、左胸腔内内臓脱出、腸間膜断裂、肝、脾、腎破裂、後腹膜血腫、右側腹部挫創兼後腹膜貫通創、両骨盤骨折の傷害を受けた。

以上の事実が認められ、証人糸魚川昭平の証言および被告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

(二)  加害車の速度について。

経験則上、乾燥したアスフアルト道路における自動車の制動距離(ブレーキがきき始めてから車が停止するまでの距難)は、時速三〇キロメートルの場合は四・九七メートル、時速三五キロメートルの場合は六・七五メートル、時速四〇キロメートルの場合は八・八二メートルであることが知られているところ、加害車の左前輪のスリツプ痕の長さは約五・二メートルであるが、本件現場が加害車の進行方向からみて僅かに上り坂となつていることや加害車が被害車と衝突後停止するまで被害車および亡広行を約五・二メートル押戻していることを考慮すると、加害車のスリツプ痕は経験則上知られている数値よりも短かくなつているものと思われ、被告自身、加害車の速度は時速三五ないし四〇キロメートルであつた旨本人尋問で供述している点も併せ考えると、加害車の速度は、時速約三五キロメートルであつたと推認するのが相当である。

(三)  被害車の速度について。

被告本人尋問の結果によれば、被告は、被害車の連度は時速五、六〇キロメートルは出ていたと供述し、一方、証人大島実の証言によれば、同証人は、被害車の速度はあまり出ていなかつたと証言しているけれども、後に認定するように被害車は転倒後約二三・三メートル以上も滑走していることからみて、被害車がかなりの速度を出していたであろうことは容易に推察し得るところであつて、その速度は時速約五五キロメートルであつたと推認するのが相当であり、証人大島実の証言および原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信できない。

(四)  被害車が転倒した地点およびそのときの加害車の位置について。

証人澤井兵衛、同和田利郎の各証言および検証の結果によれば、証人澤井は、「自宅北側のビニール庇の家屋内である別紙図面のB点で道路の方を見ながら和田利郎と話込んでいたところ、B点付近に横転して火花を散らしながら南から北に滑つていく被害車を発見した。被害車は自分の目の前のセンターラインを西側から東側に越えていつた。」と証言し、また、証人和田は、「右ビニール庇の家屋内である別紙図面のA点で澤井と話していた際、ガチヤンという音がしたので道路の方を見たところ、B点より約三・八五メートル南方の〈A〉点付近に横転して火花を散らしながら南から北に滑つていく被害車を発見した。被害車は、ビニール庇の家屋の北端線を西に延長した線のあたりでセンターラインを越えた。」と証言していることが認められるところ、右各証言は、いずれも具体的であつて、検証時における被告の指示説明ともほぼ符合しているから、充分信頼し得るものというべきである。しかして、前記乙第二号証によれば、証人澤井のいうB点の位置は、実況見分調書の〈ロ〉点の位置(加害車と被害車の衝突地点より一九・五メートル南方)とほぼ一致することが認められるから、被害車の「転倒地点は、加害車と被害車との衝突地点より約二三・三メートル以上南方の地点と認定するのが相当であり、証人大島実の証言中、右認定に反する部分は措信できない。

もつとも、前記乙第二号証によれば、転倒した被害車と路面とが接触してできた擦過痕は、B点より約九メートル北の地点から始まつているに過ぎないが、前認定のように、被害車のスタンドは被害車が転倒する以前から路面と接触して火花を発していたにも拘らず、その痕跡が路面に残つていないことからみて、右擦過痕の始点と被害車の転倒地点とは必ずしも一致しないというべきであり、したがつて、被害車の転倒地点を前述のように認定したからといつて、客観的事実に反するものということはできない。

また、被害車がセンターラインを超えた地点に関する証人澤井、同和田の証言内容も、前記擦過痕とセンターラインとの交点と一致しないけれども、前認定のように被害車は転倒時センターラインの約〇・二メートル内側を進行していたのであるから、右側に倒れた場合には、車体下部は道路左側部分に残つていても、上部はセンターラインから道路右側部分にはみ出すことになるのであつて、証人澤井らはかかる状況の被害車を見てセンターラインを越えたと表現したものと思われるのであり、右擦過痕が被害車下部の突起物と路面とが接触してできたものであるとすれば、何ら右各証言と矛盾しないというべきである。

なお、前記乙第二号証の写真3によると、加害車が停止した際、被害車は左側に倒れていたことが明らかであるが、亡広行の倒れていた地点が被害車のそれよりも亡広行の進行方向からみて右側であることおよび原、被告各本人尋問の結果に照らして、被害車は一旦右側に倒れ、その後、加害車との衝突時の衝撃その他何らかの原因で左側に倒れたものと推認するのが相当である。

次に、被害車が転倒した時点における加害車の位置について考えるに、前認定の被害車の転倒地点および双方の速度からすると、後記算式により右時点における加害車の位置は、被害車との衝突地点より約一四・八メートル以上北の地点と鑑定するのが相当であり、被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、措信できない。

23.3m/15.3m(被害車の秒速)×9.7m(加害車の秒速)≒14.8m

(五)  被害車が最初に火花を発した地点について。

本件現場の路面には、被害車転倒前のスタンドによる擦過痕はついていないため、被害車が最初に火花を発した地点を明確に認定することは困難であるが、被告本人尋問および検証の各結果に照らすと、右地点は、衝突地点より約三六・七メートル南方の地点付近と認定するのが相当である。

(六)  被告の過失の有無について。

以上認定の事実関係に基づいて、被告の過失の有無について考えるに、被告としては、道路右側部分のセンターライン付近を対向してくる被害車から火花が出ているのを認めた時点でアクセルペダルから足を離し、いつでもブレーキペダルを踏める状態を整えた上、遅くとも被害車が転倒した時点(その際の加害車の位置は前認定のとおり衝突地点より約一四・八メートル以上手前の地点)で直ちに急制動の措置をとる義務があつたというべきところ、前認定のように、被告は、衝突地点の約四メートルないし四・五メートル手前の地点で始めてブレーキをかけたに過ぎないから、被告には急制動措置をとるのがやや遅れた過失があつたといわざるを得ない。

そこで、更に進んで、被告の右過失と亡広行死亡との因果関係の有無について考えることとする。

まず最初に、急ブレーキをかけた場合に加害車が完全に停止するまでに要する距離の点から検討するに、経験則上、空走時間(運転者が進路上に出現した危険を認識してアクセルペダルからブレーキペダルに足を踏みかえ、ブレーキがきき始めるまでの時間)は平均〇・八秒ないし一秒であることが知られているが、前述のようにアクセルペダルから足を離し、いつでもブレーキペダルを踏める状態を整えておれば、空走時間はより短かくて済む筈であるから、本件の場合、右時間を〇・七秒として計算してみると、加害車が停止するまでに要する距離は、次の算式のとおり約一三・六メートルになる。

6.75m制動距離+9.72m空走距離×0.7≒13.6m

そうすると、被害車が転倒した時点で被告が直ちに急制動の措置をとつておれば、被害車との衝突地点より約一メートル以上手前の地点で加害車を停止させることができたものというべきであり、前記乙第二号証によれば、加害車と亡広行との衝突地点は被害車との衝突地点より更に約一メートル南方であることが認められるから、亡広行との衝突地点よりは約二メートル以上手前の地点で加害車を停止させることができたものというべきである。もつとも、亡広行は、加害車と衝突した際も被害車から投げ出された勢いで北方に向かつて動いていた可能性があるから、たとえ、加害車が亡広行との現実の衝突地点より約二メートル以上手前の地点で停止したとしても、なお、亡広行との衝突は避けられなかつたかもしれないが、少くとも亡広行を衝突後約五・二メートルも左前輪で押戻すことはなかつた筈である。

ところで、亡広行は、前認定のとおり本件事故により頭蓋骨陥没骨折の傷害の他、内臓の殆ど全部に亘つて重大な傷害を受けているが、右傷害の内容および本件事故の態様からみて、右傷害は、亡広行が進行中の加害車に衝突し、かつ、衝突後加害車左前輪前部と路面との間にはさまれた形で約五・二メートル押戻されたことにより生じたものが大部分であつて、単に亡広行が被害車から投げ出されて路面を滑走し、停止中の加害車に衝突しただけであれば、死亡するまでには至らなかつたものと認定するのが相当である。

以上の次第であるから、被告にも亡広行の死亡と因果関係のある過失があつたものといわざるを得ない。

原告は、被告が被害車との衝突の危険を感じた後、ハンドルをあまり左に切らず、かつ、ブレーキを充分踏まなかつた点にも過失があると主張するので判断するに、前記乙第二号証によれば、成程被告はハンドルをあまり左に切らなかつたことが認められるが(被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できない)、本件現場は別紙図面のとおり幅員がさして広くない上、道路東側は用水路でたまたま本件現場付近だけガードレールも設置されていなかつたのであるから、被告に対しハンドルを左に切ることを要求することは無理といわざるを得ないし、加害車と亡広行との衝突地点からみて、たとえ、被告が加害車を道路左端一杯まで寄せたとしても、亡広行との衝突は免れなかつたことが明らかであるから、ハンドルを充分左に切らなかつた点に被告の過失があつたとはいえないというべきである。次に、ブレーキの点については前認定の加害車の速度ならびにその左前輪のスリツプ痕の長さからみて、被告はブレーキを充分踏んだものと認められるから、この点にも過失はなかつたというべきである。

よつて、被告の免責の抗弁は理由がない。

四  損害について。

(一)  亡広行の治療費

亡広行が昭和病院で本件事故に基づく傷害の治療を受けたことは当事者間に争いがないところ、成立に争いのない甲第三号証および原告本人尋問の結果によれば、原告は右治療費一〇七万三九八〇円を右病院に支払つたことが認められる。

(二)  亡広行の逸失利益

亡広行が死亡当時満一八歳の男子高校生であつたことは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、学年は三年であつたことが認められるから、本件事故により死亡しなければ昭和五一年三月に高校卒業後満六七歳まで四九年間就労し得たものというべきである。

ところで、「昭和五〇年度賃金センサス」によれば、満一八歳の高卒男子の初任給は年間一一一万七五〇〇円であるから、生活費としてその五割を控除した上、ホフマン方式により亡広行の逸失利益の死亡当時の現価を計算すると、次の算式のとおり一三六三万九〇八七円になる。

1,117,500円×0.5×24.41=13,639,087(円未満切捨)

ところで、原告が亡広行の母であることは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、亡広行は独身でその父は本件事故当時既に死亡していたため、亡広行の相続人は原告のみであることが認められるから、亡広行の右損害賠償請求権は全部原告が相続したものというべきである。

(三)  葬儀費用

原告本人尋問の結果によれば、原告は亡広行の葬儀を行いその費用を出捐したことが認められるところ、証拠上実際に要した額は不明であるが、社会通念上、少くとも三〇万円を下らなかつたものと推定するのが相当である。

(四)  原告の慰謝料

原告本人尋問の結果によれば、亡広行死亡当時の原告方の家族構成は、原告、亡広行およびその妹の三人家族であり、原告は、満一八歳になるまで育て上げた一人息子の亡広行を本件事故で失つたことにより著しい精神的苦痛を受けたことが認められ、これに対する慰謝料は七〇〇万円とするのが相当というべきである。

五  過失相殺について。

本件事故の態様に関する前認定事実によれば、本件事故発生の主たる原因は、亡広行が被害車のスタンドを全く上げなかつたか、あるいは不充分にしか上げないまま発進し、かつ、指定最高速度を超える時速約五五キロメートルの高速度で本件現場のカーブを回ろうとしたことにあることが明らかであつて、亡広行には重大な過失があつたものといわざるを得ない。

これに対し、被告の方の過失は、衝突回避措置をとるのがやや遅れたに過ぎないものであつて、亡広行の過失の方がはるかに大きく、双方の過失割合は、亡広行が八に対し被告が二の割合と認めるのが相当である。

ところで、前記第四項において認定した損害の金額は、二二〇一万三〇六七円であるから、右過失割合に応じて過失相殺をすると、原告の損害額は四四〇万二六一三円になる。

六  弁護士費用について。

前認定の過失相殺後の損害額、本件訴訟の難易および管理期間からすれば、被告が負担すべき弁護士費用は四四万円とするのが相当である。

七  結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告に対し四八四万二六一三円およびこれから弁護士費用分を除いた四四〇万二六一三円に対する亡広行死亡の日である昭和五〇年一二月一〇日から、弁護士費用分四四万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから右の限度で認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 棚橋健二)

別紙図面 現場見取図

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例